妖怪の山は、人が立ち入ることの出来ぬ地とされている。
その噂は、数日前に起こった、妖怪の山に立ち入った男の落盤による無惨な最期によって強固なものとなっていた。
そして、その噂に不気味さを加えるエッセンスとして、もう一つの噂が人里に蔓延していた。
山のふもとで起こる、少女のすすり泣き。
本来そこには人々の厄を絡め取ってくれる厄神がいる場所であったが、最近はその姿も見られない。

――人里の村人は知りようもない。この二つの噂が、一本の線につながることを。
しかし、この噂を知りうるものが今、妖怪の山のふもとに向かって、一筋の流星となっていた。
真昼に輝くその流星は……人間でも妖怪でもなく、神。
それもただの神ではない。幻想郷の死者を裁く神――ヤマザナドゥ。
名を四季映姫という流星は、真昼だというのに強固な意志を持つかのように輝いてみえる。
しかし、その輝きの中に少しだけ……ヤマザナドゥとしてではなく、一人の女性としての意志が見て取れる人間は、いるだろうか? 
四季映姫と直接会ったものでもなければ、それは見て取れないものだろう。

「……っく、ひっく、っぇっ、うぅぅぅ……。」
その泣き声は、様々な妖怪の鳴き声がこだまする妖怪の山のふもとで、とてもはっきりと聞こえていた。
理由は単純である。
その泣き声が、人間でも妖怪でもなく、神の泣き声である。
その泣き声には厄が混じっていたため、その泣き声を聞いたものは、人妖関わらず不幸になっていった。
こんな時のために厄神がいるはずなのだが、まさかその厄神が原因だとは、誰もが思わなかったであろう。
その原因は、現在冥獄界で無限に等しい苦しみを味わっているのだから。

厄神である鍵山雛は、一人の男を本気で愛してしまった。
突然近づいてきたその男は、今まで自分が見てきた人間の誰よりも、カッコよく情熱的に見えた……いつも厄を溜め込んでいる彼女に、あれほど情熱的に近づいた人間は初めてだったのだ。
彼女は生まれて初めて、男に抱きしめられた。
それゆえに、彼女は男に愛情を感じたのだ。
次の逢瀬の約束をして、彼と一度別れたが、それが今生の別れになるとは思わなかった。
しかも、その原因は自分にあったのだ。
――彼の厄の回収を忘れた。
ただの落盤事故に見えたその事件は、彼女の気の緩みが生んだ事件であった。
この事件で、彼女は厄神としてのプライドと、自分を愛してくれる存在を失ってしまったのだ。
進むべき道を見失った彼女のすすり泣きを、止めようとするものは現れないのだろうか?
――いや、そこに近づくものがいる!

「あの男なら……地獄に落としましたよ。」

自分に近づいた足音がとまり、その代わりに声がする。
久々の他者との邂逅は、彼女がよく知っている声であった。

「彼女は数々の女性をたらし込み、不幸にしてきました……それが原因で、私の裁きを受けることになった女性も多く存在します。」

そんなはずはないのだ!
彼女――鍵山雛は、自分が愛した男が、最悪の女たらしである事実を受け入れられなかった。
彼女は、はっきりと拒絶の意志を飛ばした――言葉と、弾幕で。

『嘘 を 言 わ な い で ……』

本来、弾幕ごっこはスペルカードの提示と、カード使用宣言を必要とする『スポーツ』である。
今回彼女はそれをしなかった。
それは、彼女の意志が「弾幕ごっこ」を考えていないことを示している――つまり、「これ以上近づくな、近づくと殺す」という意思表示である。
その弾幕は、雛のスペルカードに見られるような「円」の形は見られない……あえて言うならば、極端に狭い扇形となって相手に飛んできた。
それを見て、相手である四季映姫は、両手で押さえ胸でまっすぐ構えていた勺を右手だけで持ち、右下の方向に勺を下げた。
この時点では、構えたとも、構えを「解いた」とも取れるだろう。
しかし、四季映姫は向かってくる弾幕を意に介さず、そのまま歩を進める。
――被弾、被弾、また被弾。
おそらく直すのに手間がかかるであろうスーツが、弾によって破かれ、その下の皮膚に裂傷を作っていく。
だが、それでも彼女の足は止まらない。
その説教も、である。

「不幸になった女性の中には……貴女も含まれるそうですね。鍵山 雛。」

四季映姫は分かりきっていることを改めて口にした。
説教をする時に、相手の名をなるだけ告げる癖があるわけではない……
しかし、すでに知っているはずの人間ですら、スペルカード枚数宣言もなしに弾幕(?)を放ってくる目の前の厄神を、一瞬本物の厄神かと疑ったのかもしれない。

『あ の 人 は そ ん な 人 じ ゃ な い ……』

言葉と弾幕が、またも四季映姫を襲う。
しかし四季映姫の態度は変わらない。防御することも考えず、勺を下げた状態で歩みを進める。
歩みの方向は、弾幕の向こう側の雛に向けられていた。

「……貴女は人間を助けるために厄を集めている。
 貴女のするべき行為は人のためのものだから、その心構えに問題はありません。
それが、結果的に人間から離れることになっても、そのとおりです。
 しかし、貴女は自分の心に、人間の男の介入するスキを与えてしまった。
 そして、その男が『そんな人』だったことを見抜けなかった。
 ――そう、貴女は少し、人間を愛しすぎる。」

人間を愛しすぎた。

その言葉は、雛の弾幕の勢いを完全に止めた。
自分でも、分かっていたことなのだ。
今回の事件は、全て自分が原因。
一人の男におぼれて、自身の使命を忘れたこと。
そもそも、自分から遠ざけるべき存在に接近を許したこと。
その全てが、この一言に集約されている。

空白の時間。
二人は初めて見つめあった。
気づけば、雛と四季映姫の距離はずいぶんと近くなっている。

鍵山雛にとって、四季映姫は臨戦態勢に入っているように見える。
手に持っている勺は、罪の重さによって変わるという。
今回の件の全ての責任は……自分にあるのだ、相当重いに違いない。
その勺を持っている手は地面に向けられているが、ふり上げておろせば、確実に自分の脳天を捕らえるだろう。
それだけの接近を、いつのまにか許していたのだ。
服はボロボロで、立派な帽子もいつの間にか落ちているが、それでも勝負で勝てる気がしない。
人の顔をこんな間近で見るのは、あの人の時以来か……。
澄んだ瞳が、自分を捉える。

一方四季映姫にとって、鍵山雛はとても辛そうに見えた。
彼女はもはや抵抗の意思すらないだろう。
目から顎にかけて流れる一筋の線は、涙の跡だろう。
くっきり見えるほどになるまで、一体彼女はどれだけの涙を流してきたのか? 
浄玻璃で見るだけでは分からない、それだけの思いを感じたのだ。
そして、彼女の目尻には涙が又溜まっている。
――彼女の罪は軽いものだ。
それは、先日の裁判で証明されている。
目の前の少女に必要なものは……。

四季映姫は、地面に向けていた勺を手放した。
地面に刺さると思われていた勺は、軽い音を立てて地面に落ち、倒れた。
鍵山雛は理解した。
自分を見つめる澄んだ瞳が、今まであれほど恋い慕っていた男より信頼できるものであると。
彼女が善意であることを。
ボロボロの閻魔服は、自分が今までしていたことが愚かであることの証明であった。
あの人は――本当に、悪い男だったのだ。
自分はなんて悪いことをしてしまったんだろう。

鍵山雛の体が傾く。
緑色の頭髪が、ボロボロの閻魔服の胸に吸い込まれる。
四季映姫は、自分の体に体重がかかることを確認すると、それを分かっていたかのように雛の頭を抱える。
四季映姫の胸のうちから、泣き声が聞こえる。
「……好きなだけ、泣きなさい。
そして、自分を騙した男のことを、忘れなさい。
それが、今のあなたにできる善行です。」
鍵山雛は、その言葉に一も二もなく従った。
「そのためなら、私の胸をいくらでも貸しましょう……。」
悪い男より優しい心を知った雛は、泣いた。
ひとしきり、泣いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……。」
本来行くべき場所を思い出したのか、厄が雛の周りに集まっていく。
しかし、雛と四季映姫の周りで厄は止まり、まるで二人を見守るかのように鎮座していた。
妖怪の山のふもとにも、妖怪が戻ってくるだろう。

しばらくは、すすり泣きをしてもいい。
次につながる何かを、それで得られるのなら。

※あとがいてみるか※
このSSをお読みいただきありがとうございます。
というわけで、重くなる四季様の勺 〜机を割る程の大罪〜 と、厄神に手を出したプレイボーイ 〜続・机を割るほどの大罪〜のエピローグです。
前述しましたが、この二問(実はプロット段階では後編のみだったんだけど)とこの話は、もともと一本のSSとして、創想話に投稿しようとしていたものだったのですが、「あーこれは春休み中に完成はしないなぁ」と思ってウミガメのスープに。
といってもウミガメ暦……9日?(もうそんなたっていたのか)なので、この計画はウミガメスレを見てその場で考えたようなものだったりします。
そうしたら、エピローグがSSの3/4ぐらい書いているのと同じぐらいの分量になってしまった(汗
 SS暦も自身の持てるものではないので、果たして読みやすい文章になっているかどうか……。
何はともあれ、四季様ネタ以外にもスープはこれから煮込んでいきたいので、今後とも宜しくお願いいたします。

関連問題

ウミガメのスープ3題目「四季様の大事な机がバキ」
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